幼い人々 | 日々思ふこと(旧館)

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といいながら、毎日暴れているような気がします^^;

平成25年1月26日 http://kudo.jpn.com に新エントリーを移動しました。

自民党政権の経済政策はまだはじまったわけではないが、それに関してああだこうだ言っている人たちがいる。

もちろん「こうしてほしい」という意見に関しては理解もできるし、納得できる意見も数多くあるのだが、幼い人たちはただ「自民党のやり方」であったりそもそも「自民党がきらい」というものしか見えてこないため、なんとも「イタイ」状況に見えてしまう。

私からはっきり言わせていただければ「民主党政権になった時、小躍りしやがったくせに、何もできなかった政権に対してモノも申さず、反省もしない連中が何を言う」というわけだ。

批判なら子供でもできる。
そうではなくて「どうすればいいのか」ということも考え、提案し話し合いをすることこそ重要なのであって、ただただ批判だけをする人は極めて幼いとしか考えられない。

政治は庶民と関係ないなんて思っている人もそう。
政治こそ庶民に最も近いものでなくてはならないわけで、そこに参加しない人達ははっきり言えば役に立とうとしない人達です。
そんな人達がただ文句を言う中で、なぜその人達を救わねばならないのか、私には理解ができない。

政治にも参加をし、地域社会にも参加し、それが全てに対して良好な関係を築くことこそ、地域だけではなく最終的に国家に寄与するものだと思う。

よくいる勘違いをする方々は、まるで自分ひとりだけ、自分の周りだけで生きていると考えているようで、そもそも日本という国家があるからこそ今のような生き方ができるわけであって、そういう発言ができる程度の自由が約束されている社会にいることを理解するべきです。
国旗および国歌に敬意を払うことさえできない人は、今そこにいられることを考えていない人でしかなく、そこにいられる自由の根拠を理解できない人でしかありません。

いま自由に発言できるのはどうしてなのか。
それは日本国にいるからこそはっきりと発言ができ、陰謀論だろうと苦笑するような馬鹿げた発言をしたとしても、国家権力に妨げられないのはなぜなのか・・・

いわゆる中国を見ろ。
発言に関しての自由さえないのははっきりしているではないか。
韓国を見ろ。
竹島に関して「日本のものだ」と自由に言える環境ではないではないか。

世界中の多くの国では表現、発言の自由が約束されてはいないのだ。
それをきちんと理解し、今ものを言える自由をかみ締めるべきだ。